築城で活躍した穴太衆とは

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穴太衆(あのうしゅう)は、主に石垣築造を専門とした職人集団であり、近世日本の城郭建築において重要な役割を果たしました。その築城技術や特徴について以下に詳しく説明します。
 

|穴太衆の築城技術と特徴

1. 野面積み(のづらづみ)

穴太衆の石垣築造技術の最大の特徴は「野面積み」と呼ばれる方法です。これは、自然石をほぼ加工せず、その形状を活かして積み上げる技法です。以下がその特徴です:

  • 自然美:加工を最小限に抑えた石を使用するため、石垣が自然な風合いを持つ。

  • 強度と安定性:石の形状を巧みに組み合わせることで、地震や侵食に対する耐久性が高い。

  • 排水性:隙間が適度にあるため、水はけが良く、石垣内部の水分による劣化を防ぐ。

 
 【参考】

  • ◎積み方の技術
    石垣の積み方には主に次の3つのやり方があります。
  • ①野面積み(のづらづみ): 自然石をそのまま積む方法
  • ②割石積み(わりいしづみ): 石を割って整形し積む方法
  • ③算木積み(さんぎづみ): 直方体に整形した石を交互に重ねる方法。特に天守台など重要な箇所で使用されました。

 

2. 技術の継承

穴太衆は代々その技術を家業として継承してきました。特に滋賀県大津市穴太地区を拠点として活動し、地域に根差した職人集団として発展しました。
 

3. 迅速な施工能力

穴太衆は、短期間で大規模な石垣を築造する能力にも優れていました。戦国時代から安土桃山時代にかけて、多くの城郭が急速に築かれた背景には、彼らの効率的な施工技術があったとされています。
 

4. 城郭以外への応用

穴太衆の技術は城郭のみならず、寺院や神社の境内整備、庭園造りにも応用されました。特に比叡山延暦寺周辺や坂本地区では、その技術を見ることができます。

|穴太衆が関わった主なお城

  • 安土城(滋賀県):織田信長が築城時に召し抱えた。織田信長による壮大な城郭建築で穴太衆が活躍。

  • 坂本(滋賀県大津市):比叡山延暦寺周辺の石垣。

  • 石垣山城(神奈川県):豊臣秀吉の命で築城。

  • 江戸城天守台(東京都)

  • 福井城(福井県)

  • 彦根城(滋賀県):現存する石垣に穴太衆の技術が見られます。

  • 竹田城(兵庫県):雲海に浮かぶ「天空の城」として知られる竹田城の石垣は今でも現存しています。

  • 篠山城(兵庫県)

  • 高知城(高知県):穴太衆の石垣技術が活用されました。

  • 岡城(大分県)

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