月山富田城(がっさんとだじょう)
歴史
月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市に位置する山城で、1185年(文治元年)頃に佐々木義清によって築かれたとされています。その後、出雲国守護の居城として発展し、1396年(応永3年)から1566年(永禄9年)までは尼子氏の本拠地として繁栄しました。
戦国時代には尼子経久がこの城を拠点に山陰・山陽11カ国を支配する大名となり、最盛期を迎えました。しかし1566年、毛利元就の攻撃により尼子氏は滅亡し、以降は毛利氏の支配下に入りました。関ヶ原の戦い後には堀尾吉晴が入城し改修を行いましたが、1611年(慶長16年)に松江城へ拠点が移され廃城となりました。
現在は国の史跡に指定され、「日本100名城」に選定されています。
構造
月山富田城は標高約190mの月山(吐月峰)の山上に築かれた典型的な山城であり、以下の特徴があります。
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複郭式構造: 山頂部の本丸を中心に、二ノ丸や三ノ丸などの曲輪が連郭式に配置されています。これらは尾根沿いに連なり、防御力を高めています。
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進入路: 北麓の菅谷口(大手道)、御子守口(搦手道)、南麓の塩谷口(裏手道)の3つの登城口があり、それぞれ深い堀や門で防御されていました。
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山中御殿: 山腹には「山中御殿」と呼ばれる居館跡があり、戦時にはここが防衛拠点となりました。
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七曲り: 山頂部へ続く急勾配の登城道である「七曲り」は、防御上重要な役割を果たしました。
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石垣と堀切: 堀尾氏による改修で石垣が築かれましたが、その多くは江戸時代初期のものと推定されています。
他のお城にはない特徴
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①難攻不落の要塞
月山富田城は三方を急峻な斜面や断崖絶壁に囲まれ、西側には飯梨川が流れる天然の要害です。この地形と巧妙な設計により、「力攻めでは落ちない」と称されました。 -
②尼子氏の栄枯盛衰の舞台
尼子経久や尼子晴久らによる繁栄とその滅亡というドラマチックな歴史が展開された場所であり、戦国時代屈指の象徴的な存在です。 -
③七曲りと太鼓壇
「七曲り」と呼ばれる急勾配の登城道や「太鼓壇」という非常時に兵士を招集するための施設など、防衛機能を徹底した設計が見られます。 -
④山中鹿介ゆかりの地
尼子再興を目指した悲運の武将・山中鹿介ゆかりの地としても有名で、その忠義心や奮闘は多くの歴史ファンを惹きつけています。 -
⑤天空の城として観光資源化
標高190mから望む景色や桜名所としても知られ、「天空の城」として観光客に親しまれています。また、春には桜が咲き乱れる景観が魅力です。
月山富田城はその堅固な構造と歴史的背景から、日本屈指の中世山城として評価されており、戦国時代ファンや歴史愛好家必見の名所です。
