水戸城

歴史

水戸城は平安時代末期(1190年頃)、馬場氏によって築かれた館を起源とします。その後、鎌倉時代には江戸氏が居城とし、戦国時代には佐竹氏が本拠地として利用しました。1590年、小田原征伐後に佐竹氏が水戸城を改修し、現在の縄張りの基礎を築きました。
1609年には徳川家康の子・徳川頼房が入封し、水戸徳川家の居城となります。頼房は三の丸や外堀の整備を進め、二の丸に御殿を造営し、三階櫓(御三階櫓)を建設しました。江戸時代には質素な構造ながら藩庁として機能し、水戸藩の中心地として重要な役割を果たしました。
明治維新後、廃城令により多くの建物が失われましたが、現在では土塁や堀、弘道館などが残り、大手門や二の丸隅櫓が復元されています。
 

構造

水戸城は連郭式平山城であり、以下の特徴があります:

  • 縄張り: 本丸、二の丸、三の丸が台地上に連なる配置で、それぞれ空堀で区切られています。北側は那珂川、南側は千波湖を天然の堀として利用しました。

  • 土造り構造: 石垣は使用せず、大規模な土塁と空堀で防御を固めています。これは関東地方特有の戦国期城郭様式であり、水戸藩主が江戸定府大名だったために質素な構造となったとも言われます。

  • 御三階櫓: 天守閣はなく、二の丸に建てられた三階櫓が天守の代わりを果たしました。この櫓は外観三層・内部五階で、一層目には海鼠壁を採用し石垣風に見せる工夫が施されていました。

 

他のお城にはない特徴

  1. ①日本最大級の土造り城
    水戸城は石垣ではなく土塁と空堀のみで構成された、日本最大級の土造り城です。この質素な構造は徳川御三家の居城として異例であり、防御力と経済性を両立した設計です。

  2. ②御三階櫓と海鼠壁
    天守閣ではなく三階櫓を設置し、その一層目に海鼠壁を使用して石垣風に見せる工夫を施した点は独特です。このデザインは天守閣を持たない水戸城ならではの特徴です。

  3. ③質素な建築様式
    徳川御三家(水戸藩)が参勤交代を行わず江戸定府大名だったため、藩主が居住することが少なく、他藩よりも質素な建築様式となっています。この点で尾張藩名古屋城や紀州藩和歌山城と異なる性格を持っています。

  4. ④弘道館と偕楽園
    水戸藩第9代藩主・徳川斉昭によって弘道館(藩校)や偕楽園(庭園)が整備されました。特に弘道館は江戸時代最大規模の藩校であり、水戸学発展の中心地でした。

  5. ⑤復元された大手門と隅櫓
    令和時代に復元された大手門や二の丸隅櫓は、水戸城跡の象徴的な存在となっています。これら復元建築物は史料に基づき忠実に再現されており、歴史的価値が高いです。

 
水戸城はその独特な土造り構造や御三階櫓、文化施設との融合によって、日本百名城にも選ばれる重要な歴史遺産です。
 

令和における水戸城の復元事業

令和における水戸城の復元事業では、大手門と二の丸角櫓が木造で復元され、城跡の歴史的価値を高める取り組みが行われました。

復元の概要

  1. 大手門の復元

    • 完成日: 令和2年2月4日

    • 構造: 木造2階建て、高さ約13.34m、幅約17mの巨大な櫓門。江戸時代初期の様式を再現し、天保年間の姿で復元されました。

    • 特徴: 土塁に取り付く門として国内屈指の規模を誇り、発掘調査で判明した瓦塀を覆う形で整備されています。瓦塀下部には小窓が設けられ、当時の姿を見学可能です。

  2. 二の丸角櫓と土塀の復元

    • 完成日: 令和3年6月27日

    • 構造: 二階建ての櫓と土塀が伝統工法により復元されました。

    • 特徴: 二の丸角櫓内部では、水戸城の歴史や復元事業について紹介する展示が行われています。市民や観光客にとって新たなシンボルとなっています。

 

復元事業の背景

  • 平成21年に坂東市で発見された水戸城門扉が寄贈されたことを契機に、学術的調査と検討が進められました。

  • 復元には「一枚瓦城主」による寄付金や地元業者による伝統工法が活用され、産学官民一体となった取り組みで完成しました。

 

意義

  • 復元された大手門と二の丸角櫓は、水戸城跡の象徴として観光資源化され、地域文化発信や歴史教育に貢献しています。

  • 歴史的な建造物を忠実に再現することで、水戸徳川家や水戸学ゆかりの地としての価値を再確認する場となっています。

 
これらの復元事業は、水戸城跡を現代に蘇らせる重要なプロジェクトであり、地域活性化にも寄与しています。

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