中津城

歴史

中津城は、大分県中津市に位置する平山城で、1588年(天正16年)に黒田官兵衛(黒田孝高)によって築かれました。黒田孝高は豊臣秀吉から豊前6郡を与えられ、その中心拠点として中津川河口の地を選びました。築城後、関ヶ原の戦いで功績を挙げた黒田氏は筑前国(福岡)へ転封となり、その後は細川忠興、小笠原氏、奥平氏が城主を務めました。
1717年(享保2年)以降は奥平氏が藩主となり、1871年(明治4年)の廃藩置県まで中津藩の中心地として機能しました。明治維新後に廃城となり、大部分が失われましたが、1964年に模擬天守が建設され、現在は「奥平家歴史資料館」として公開されています。
 

構造

中津城は「日本三大水城」の一つに数えられる水城であり、以下の特徴的な構造を持っています。

  • 立地と縄張り: 中津川の河口近くに位置し、西側を中津川、北側を周防灘に囲まれた天然の要害です。本丸を中心に二の丸、三の丸が配置され、全体的に扇型の形状をしています。

  • 堀と海水: 堀には海水が引き込まれており、満潮時には水位が変化する仕組みです。この点で今治城(愛媛県)や高松城(香川県)と並ぶ特徴的な水城です。

  • 石垣: 黒田時代と細川時代の石垣が混在しており、それぞれ異なる積み方や石材が使用されています。特に黒田時代の石垣には古代山城「唐原山城」から運ばれた加工石が用いられています。

  • 天守: 築城当時に天守が存在したかは不明ですが、現在の模擬天守は1964年に建設された鉄筋コンクリート造です。

  • 櫓と門: 本丸には15基の櫓があり、二の丸や三の丸にも複数の櫓と門が配置されていました。

 

他のお城にはない特徴

  1. ①日本三大水城
    中津城は今治城、高松城とともに「日本三大水城」に数えられます。堀に海水を引き込む設計や満潮時の水位変化など、水と一体化した防御構造が他にはない特徴です。

  2. ②黒田官兵衛と細川忠興による合作
    黒田官兵衛が築いた基礎を細川忠興が改修したため、「軍略家二人による合作」とも称されます。両者の築城技術や戦略思想が融合された点で独特な価値があります。

  3. ③古代山城から運ばれた石材
    石垣には福岡県築上郡上毛町にある古代山城「唐原山城」から運ばれた加工石が使用されています。このような古代遺跡とのつながりを持つ石垣は極めて珍しい例です。

  4. ④堀と土塁「おかこい山」
    城下町には「おかこい山」と呼ばれる総構えの土塁跡が点在しており、防御性を高める工夫として注目されています。

  5. ⑤模擬天守と歴史資料館
    模擬天守内には奥平家ゆかりの品々や中津藩関連資料が展示されており、観光資源としても活用されています。また、福沢諭吉記念館など周辺施設との連携も魅力です。

 
中津城はその立地や防御構造から戦略的価値が高く、日本三大水城としても名高い存在です。また、黒田官兵衛や細川忠興など著名な武将との関わりも深く、多くの歴史ファンを引きつける名所となっています。

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