駿府城

駿府城の歴史

  • 室町時代: 今川氏が居城として「今川館」を建設。

  • 戦国時代以降: 徳川家康が1585年に築城を開始し、以後何度も改修を経て近世城郭として完成。

  • 江戸時代: 家康の死後、幕府直轄領となり城代が配置される。

  • 明治以降: 廃藩置県で破却され、公園や軍施設を経て現在は「駿府城公園」として整備。

 

駿府城の構造

  • 輪郭式縄張: 本丸を中心に二の丸・三の丸が同心円状に配置され、三重の堀で囲まれた防御的な設計。

  • 天守: 家康時代には6重7階の大規模な天守が築かれたが、火災や地震で度々失われた。

  • 御殿と屋敷: 本丸には家康の御殿、二の丸・三の丸には徳川一族や重臣の屋敷が配置。

駿府城

 

|他の城には見られない特徴

1. 天守が存在しない時期が長い

駿府城は、徳川家康が隠居後の居城として整備されましたが、天守が火災や地震で失われた後、再建されることはありませんでした。江戸時代には天守のない状態で運営されており、これは他の城と大きく異なる点です。多くの城では天守が防御や権威の象徴として重要視されましたが、駿府城ではそれを必要としなかった背景があります。
(理由)

  • 家康自身が隠居後に政治的権力を保持していたため、天守を再建する必要がなかった。

  • 城代(幕府の管理者)が駿府城を統治していたため、防御よりも行政機能が重視された。

 

2. 輪郭式縄張(同心円状の構造)

駿府城は「輪郭式縄張」と呼ばれる設計で、本丸を中心に二の丸・三の丸が同心円状に配置されています。この構造は、防御力を高めるために設計されたもので、以下の特徴があります。

  • 三重の堀: 本丸を中心に外側へ広がる形で堀が設けられており、敵が侵入する際に複数の防御ラインを突破する必要があります。

  • 水路構造: 堀と堀を繋ぐ水路が設けられており、防御だけでなく水運にも配慮されています。

  • 他の城では「梯郭式縄張」(階段状に曲輪を配置)や「連郭式縄張」(曲輪を直線的に配置)が一般的ですが、駿府城のような輪郭式構造は珍しい例です。

 

3. 石垣と堀の特殊な設計

駿府城には、他の城では見られない以下のような石垣や堀の特徴があります。
①独特な水路構造

  • 二の丸東側には「折れ曲がった水路」があり、これは全国的にも珍しい設計です。水路底には石畳が敷かれており、防御とともに美観にも配慮されています。

②石垣に埋め込まれた「猪目石(いのめいし)」

  • 石垣にはハート形をした「猪目石」が埋め込まれており、魔除けや祈願として設置されています。このような装飾的な石は他の城ではほとんど見られません。

4. 政治・行政機能重視

駿府城は徳川家康隠居後、江戸幕府直轄領として機能しました。そのため、防御よりも政治・行政機能が重視された構造となっています。

  • 本丸には家康の住居である御殿(駿府御殿)があり、豪華絢爛な建築だったとされています。

  • 二の丸・三の丸には幕臣や徳川一族の屋敷が配置されており、軍事拠点というよりも統治拠点として活用されました。

 

5. 立地条件

駿府城は平地に築かれた「平城」であり、山城や丘陵地帯に築かれることが多い他の城とは異なります。平地にあることで以下の利点があります。

  • 都市との連携: 駿府(現在の静岡市)は交通要衝であり、経済活動や行政運営に適していた。

  • 防御面よりも利便性を重視: 山岳地帯ではなく平地にあるため、防御力よりも統治機能が優先されました。

 

まとめ

駿府城は他の日本の城と比べて以下の点で異なります。

  1. ①天守を持たない時期が長い

  2. ②同心円状(輪郭式)の縄張構造

  3. ③独特な水路や猪目石など特殊な石垣設計

  4. ④政治・行政機能重視で、防御よりも統治拠点として活用

  5. ⑤平地に築かれた平城であること

 
これらは徳川家康という人物と江戸幕府直轄領としての役割による独自性を反映したものです。他とは一線を画す特徴的な設計思想から、日本100名城にも選ばれています。

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