高田城
歴史
高田城は新潟県上越市に位置する平城で、江戸時代初期の慶長19年(1614年)に徳川家康の六男・松平忠輝によって築かれました。築城は幕府が諸大名に命じた「天下普請」によるもので、伊達政宗を総裁とし、前田利常や上杉景勝など13の大名が参加しました。築城の目的は、越後地域を支配するとともに、加賀前田家や出羽上杉家など反徳川勢力への抑えとして機能することでした。
松平忠輝が改易された後は、酒井家次や松平光長など親藩・譜代大名が藩主を務め、幕府の重要拠点として存続しました。明治維新後の廃城令で多くの建物が取り壊されましたが、現在は三重櫓などが復元され、「続日本100名城」に選定されています。
構造
高田城は以下の特徴的な構造を持つ平城です。
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土造りの城: 天守や石垣がなく、本丸・二の丸・三の丸すべてを高さ約10mの土塁で囲む構造。石垣を使用しない近世城郭は珍しく、防御力を土塁で補っています。
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三重櫓: 天守閣の代わりとして建てられた三重櫓(御三階櫓)は、高さ約14.5mで土塁上に直接建てられている点が特徴的です。
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極楽橋: 二の丸から本丸へ続く内堀に架けられた木橋。発掘調査に基づき復元され、全長約38mと規模が大きい。
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外堀: 周囲約4kmに及ぶ広大な水堀で、防御と景観を兼ね備えています。堀幅は最大130mにも達します。
他のお城にはない特徴
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天守がない「土造り」の城
高田城は急造だったため天守や石垣を持たず、土塁のみで防御を構築した点が他の近世城郭と異なります。 -
日本三大夜城
高田城は大阪城、高知城と並び「日本三大夜城」の一つに数えられます。約4,000本もの桜が植えられ、夜間ライトアップされた桜と復元された三重櫓のコラボレーションが魅力です。 -
蓮根栽培による財政再建
幕末に藩財政を救うため外堀に蓮根を植えたことから始まり、現在では堀一面に蓮花が咲き誇る景観が見られます。 -
天下普請による築城
伊達政宗総裁による天下普請で築かれたため、多くの大名の技術や資材が集結しており、その規模と効率性は歴史的に注目されています。
高田城はその独特な構造と歴史的背景から、地域文化や観光資源として高い評価を受けています。
