高松城

歴史

高松城(玉藻城)は、1590年(天正18年)に生駒親正によって築かれた輪郭式平城で、讃岐国高松市に位置します。瀬戸内海に面した「日本三大水城」の一つとして知られ、海水を堀に引き込む設計が特徴です。築城には黒田官兵衛(黒田孝高)細川忠興など名だたる武将が関与したとも言われています。
江戸時代には生駒氏が4代にわたり居城としましたが、生駒騒動で改易され、1642年(寛永19年)に松平頼重が入封。頼重は城の改修を行い、1669年(寛文9年)には三重五階地下1階の唐造り天守が完成しました。松平氏は11代続きましたが、1868年(慶応4年)の官軍への開城を経て廃城となり、多くの建物が失われました。
現在、高松城跡は「玉藻公園」として整備され、艮櫓(うしとらやぐら)や水手御門などの遺構が国の重要文化財に指定されています。
 

構造

高松城は瀬戸内海を活用した輪郭式平城で、防御と利便性を兼ね備えた設計を持っています。

  • 堀と海水: 外堀、中堀、内堀の三重構造で堀には海水が引き込まれています。これにより堀では鯛などの魚を見ることもできます。

  • 本丸と周辺曲輪: 本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸、桜の馬場などが時計回りに配置され、防御性を強化。

  • 天守: 唐造り(三重四階地下1階)の天守は1669年に完成しましたが、老朽化により1884年に取り壊されました。

  • 艮櫓と水手御門: 艮櫓(丑寅櫓)は現存する重要文化財であり、水手御門は船溜りと連携して物資搬入を容易にする役割を果たしました。

 

他のお城にはない特徴

  1. 日本三大水城
    高松城は中津城(大分県)、今治城(愛媛県)と並び「日本三大水城」に数えられます。堀に海水を引き込む設計や海船の接岸可能な構造は他では見られない特徴です。

  2. 堀で鯛を見ることができる
    海水堀には鯛などの魚が放流されており、「堀で魚を見ることができる城」として珍しい存在です。

  3. 唐造り天守
    天守は南蛮様式とも呼ばれる唐造りで、日本国内でも特異なデザインでした。最上階が張り出す形状や地下一階構造など独自性があります。

  4. 船溜りとの連携
    城内から直接船を利用できる設計は、水軍運用や物資搬入・脱出を考慮した戦略的な工夫です。

  5. 玉藻公園として整備
    現在、高松城跡は玉藻公園として整備されており、歴史的遺構と自然美を楽しむ観光地となっています。桜御門の復元やイベントも行われています。

 
高松城はその防御性と利便性を兼ね備えた設計から、日本屈指の海城として評価されており、観光地としても多くの人々に親しまれています。

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