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35.藤堂高虎の家紋

藤堂

とうどうづた

 

藤堂高虎の家紋

 

この家紋の判が押されているご城印

・津城(三重)
伊賀上野城(三重)
今治城(愛媛)
 

蔦紋の1つ。蔦の葉が描かれている。蔦は英語でアイビーといい、枝葉がよく伸び子孫繁栄の象徴でもある。
*藤堂蔦は一般的な蔦紋より縦の幅が狭いのが特徴。
 
一般的な蔦紋を採用していたのは45.松永久秀。
 

 

蔦紋とは

  • 蔦というと、日本では古い家屋の壁に沿って生い茂るイメージの方も多いと思います。
  • しかし、戦国武将がこの蔦を家紋していたのは縁起がいいためです。特に、枝葉がよく伸びる蔦は子孫繁栄の象徴でもありました。
  • 西洋では、アイビーの花言葉は「永遠の愛」や「友情」とされています。
  • 外資系のホテルの結婚披露宴に招待されると、引き出物の紙袋の中にこのアイビーの葉が入っていることがあります。
  • 披露宴の宴の最中に間違って葉っぱが紙袋に入ってしまったわけではなく、れっきとした引き出物のひとつです。

藤堂高虎が築城した代表的な城

藤堂高虎は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した築城の名手として知られています。主君を七度も替えながらも、その都度信頼を得て重用され、多くの城の築城や改修を手がけました。
 

 
特に、彦根城や伊賀上野城、今治城などの築城でその才能を発揮し、石垣の積み方や防御性、機能美を兼ね備えた設計が高く評価されています。高虎は、戦国時代の実戦経験をもとに、実用性と美観を両立させた独自の築城術を確立しました。彼の築いた城は、現代でもその堅牢さと美しさが評価され、日本の城郭建築の発展に大きな影響を与えました。

藤堂高虎が築城した代表的な城には、今治城、宇和島城、伊賀上野城、膳所城などがあります。

  • 今治城:瀬戸内海に面した大規模な平城で、海水を堀に引き入れた「海城」として知られます。防御性と交通の利便性を兼ね備えた構造が特徴です。また、従来の望楼型天守に代わり、より安定した層塔型天守を初めて採用し、後の城郭建築の主流となりました。

  • 宇和島城:山頂に築かれた山城で、堅牢な石垣や巧みな縄張りが特筆されます。実戦経験を活かした防御性の高い設計が見られます。

  • 伊賀上野城:高石垣が有名で、特に高さ30mを超える石垣は日本屈指の規模を誇ります。

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