36.豊臣秀吉の家紋
太閤桐
たいこうきり
↓左が太閤桐
*豊臣家の家紋は五七桐だが、秀吉は天下統一後に太閤桐を使用したといわれる。秀吉独自のアレンジが加えられた桐紋の総称を太閤桐といい、太閤桐にもいくつかのデザインがある。
五七桐
ごしちきり
↓右が五七桐
桐紋(桐花紋)の1つ。桐の葉とその上に花が描かれている。左右両脇の花の数が5で中央が7のデザインを「五七桐」という。
*ちなみに、筑波大学の校章も桐であるが、こちらは左右両脇の花の数が3で中央が5のデザインのため「五三桐」ということになる。
この家紋の判が押されているご城印
・犬山城(愛知)
・長浜城(滋賀)
・八幡山城 はちまんやまじょう(滋賀)
・聚楽第 じゅらくだい(京都)
桐紋(桐花紋)とは
- 桐の葉と花が描かれている家紋です。
- この家紋は歴史的に政権を掌握した統治者に対し天皇から与えられました。現在でも日本の内閣総理大臣の紋章になっています。
- 天皇家の正紋は菊紋ですが、桐花紋が副紋とされています。桐花紋は、天皇家に功績のあった臣下に下賜されることがありました。足利尊氏はすでに足利家としての家紋があったため、この桐花紋を室町幕府の紋として使用しました。
- 江戸時代が終わり明治になると、菊紋の使用は皇室関係に制限されました。そこで日本政府の紋章として、菊紋に次いで格が高い“五七桐”が使われるようになります。法務省などは“五三桐”を使用しています
- 日本国のパスポートには、日本として渡航を許可するという意味で表紙には菊の紋、写真のページには桐花紋が使用されています。