備中松山城

歴史

備中松山城(岡山県高梁市)は、1240年(仁治元年)に地頭・秋庭三郎重信が築いた砦を起源とする山城です。その後、戦国時代には三村氏が拡張し、毛利氏の支配下に入りました。江戸時代初期には水谷勝隆が藩主となり、1681年(天和元年)から1683年(天和3年)にかけて水谷勝宗が大規模な改修を行い、現在の形となりました。
明治7年(1874年)の廃城令により多くの建物が失われましたが、天守や二重櫓など重要な遺構は現存しています。昭和期には修復が進められ、現在は「日本100名城」および「現存12天守」の一つとして国の重要文化財に指定されています。
 

構造

備中松山城は標高430mの臥牛山に築かれた連郭式山城で、以下の特徴的な構造を持っています。

  • 天守:
    現存する天守は複合式望楼型の二重二階建てで、高さ約11m。外観は三重に見えるが内部は二階建てという珍しい設計。一階には囲炉裏や城主専用の「装束の間」があり、二階には御社壇を設けて宝剣を祀る宗教的要素もあります。

  • 石垣:
    山上部に築かれた石垣は天然岩盤を活用し、高さ約10mにも及ぶ屈折した形状が特徴。迎撃空間として立体的な造形が施され、防御力を高めています。

  • 連郭式構造:
    本丸を中心に二重櫓や平櫓、土塀などが配置され、多層的な防御機能を備えています。麓には居館跡(御根小屋)があり、平時の生活空間として利用されました。

  • 土塀:
    現存する土塀は2基(三の平櫓東土塀・厩曲輪土塀)で、そのうち三の平櫓東土塀は重要文化財に指定されています。漆喰仕上げで狭間を設けた防御性の高い構造です。

 

他のお城にはない特徴

  1. ①唯一の現存天守を持つ山城
    備中松山城は現存12天守の中で唯一、標高430mの山上に残る天守を持つ城です。この点で他の平地や平山城とは異なる特異性があります。

  2. ②宗教的要素を含む天守構造
    天守内部には御社壇が設けられ、宝剣を祀るなど宗教的要素が取り入れられています。このような設計は他城にはほとんど見られません。

  3. ③天然岩盤と石垣の融合
    石垣には天然岩盤を取り込む技術が用いられており、大岩の湾曲に合わせた石材加工など高度な技術が見られます。この融合は近世城郭ならではの特徴です35.

  4. ④雲海に浮かぶ景観
    秋から冬にかけて発生する雲海によって「天空の城」として知られる絶景スポットとなっています。この自然環境との調和は観光資源としても評価されています。

  5. ⑤籠城機能と居住性の両立
    天守内には囲炉裏や装束の間など籠城時の居住空間が整備されており、防御と生活性を兼ね備えています。

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