五稜郭
歴史
五稜郭は、江戸時代末期の1857年(安政4年)から1864年(元治元年)にかけて、函館奉行所の防衛拠点として築かれた星形要塞です。設計者は蘭学者の武田斐三郎で、西洋の「稜堡式城郭」を日本で初めて本格的に採用しました。
この城郭は、箱館(函館)の港を防衛し、外国勢力の侵入に備えるために建設されました。
五稜郭は戊辰戦争(1868~1869年)の舞台となり、旧幕府軍が新政府軍と戦った最後の拠点となりました。特に榎本武揚や土方歳三らが立てこもったことで知られますが、新政府軍の圧倒的な火力と包囲戦により降伏しました。その後、五稜郭は役割を終えましたが、現在では国の特別史跡に指定され、観光名所として親しまれています。
構造
五稜郭は、西洋式築城技術を取り入れた日本初の星形要塞であり、防御性と攻撃性を兼ね備えた設計が特徴です。
-
星形構造:
五つの角(稜堡)が突出した星形をしており、それぞれが互いを援護できるよう設計されています。この形状により、死角をなくし、敵への十字砲火を可能としました。 -
稜堡(りょうほ):
稜堡には大砲が配備され、敵の侵入を阻止する役割を果たしました。稜堡間には「フランク」と呼ばれる凹部があり、防御線を強化する工夫が施されています。 -
土塁と石垣:
城壁は高い石垣ではなく、土塁で構築され、大砲による衝撃を吸収する設計になっています。 -
水堀:
五稜郭全体を囲む水堀は幅広く深く掘られており、敵の接近を困難にしました。 -
内部施設:
中央には函館奉行所が置かれましたが、敵の目標となる建物(天守や櫓)は建設されませんでした。これも西洋式要塞の特徴です。
他のお城にはない特徴
-
①日本初の星形要塞
五稜郭は、日本で初めて西洋式築城技術である「稜堡式城郭」を採用した城です。この設計は従来の日本の城とは全く異なるもので、防御力と攻撃力を最大化した合理的な形状です。 -
②大砲戦に特化した設計
五稜郭は大砲による戦闘を想定して築かれており、高い石垣ではなく低い土塁や広い水堀など、大砲時代の防衛戦術に適応した構造が特徴です。 -
③戊辰戦争最後の舞台
五稜郭は旧幕府軍が立てこもった最後の拠点であり、新政府軍との激しい戦闘が繰り広げられました。この歴史的背景から、「幕末維新」の象徴的な場所となっています。 -
④観光名所としての整備
現在では五稜郭タワーから星形全体を俯瞰できるほか、公園として整備され桜や藤の花の名所としても有名です。また、中心部には復元された函館奉行所があります。 -
⑤もう一つの五稜郭との比較
長野県佐久市には「龍岡城」という同じ星形要塞がありますが、五稜郭ほど大規模ではなく、日本国内でこの形式を代表する存在は五稜郭のみです。
五稜郭はその独特な形状と歴史的意義から、日本だけでなく世界的にも注目される遺産です。現在では観光地として親しまれる一方で、その革新的な築城技術や幕末維新期の激動を伝える重要な史跡でもあります。
