犬山城
犬山城は、その歴史的価値と優れた建築技術、そして周囲の景観と調和のにより、日本の城郭建築の代表例として高く評価されています。
歴史
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天守の創建時代には諸説ある。
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江戸時代成瀬家が9代にわたり城主を務めました。
構造
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木曽川南岸の標高約80mの城山に築かれた平山城です。
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本丸、杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸が南方に階段に配置されています。
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天守は高さ約24メートル(内石垣5メートル)の望楼型で、地上三層四階、地下二階の構造です。
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入母屋造り二階建ての屋根の上に望楼を乗せた特徴的な外観を持ちます。
|犬山城の優れた建築技術
犬山城は、現存する最古の木造天守を持つ城として知られており、その建築技術には多くの優れた点が見られます。以下にその特徴を解説します。
1. 一体的な建設技術
犬山城天守は、一重目から三重目までを一体的に建設する技術が採用されています。従来は段階的に増築されたと考えられていましたが、科学的調査により、最初から全体が統一的に建てられたことが判明しました。この設計は、構造の安定性や効率性を高めるもので、日本城郭建築史上重要な発見とされています。
2. 望楼型天守
犬山城天守は「望楼型」で、下層部分に入母屋造りの大屋根を持ち、その上に物見櫓(望楼)が載る形式です。この構造は天守発生初期の特徴を備えており、シンプルながらも防御と景観を両立させた設計となっています。
3. 格式高い装飾
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華頭窓: 最上階にある釣鐘型の窓で、寺院建築にも見られる格式高い装飾です。犬山城では窓枠だけが設置されており、装飾性を重視したデザインが採用されています。
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唐破風: 弓なり状の屋根で、天守の正面と裏面に設置されています。この様式は威厳や権力を象徴し、城主の地位を示す役割も果たしています。
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真壁造: 最上階外壁では柱や桁がむき出しになった真壁造が採用されており、格式の高さと独特の美しさを兼ね備えています。
4. 地形活用
犬山城は木曽川沿いの断崖上に築かれており、自然地形を巧みに利用した「後堅固」の構造となっています。背後から攻め込むことが困難な立地で、防御力が高い点も優れた設計技術の一つです。
これらの要素により、犬山城は美しさと機能性を兼ね備えた日本城郭建築の傑作として評価されています。
見どころ
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天守は現存する日本最古のものとされています。
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最上階からは木曽川や濃尾平野の絶景を楽しめます。
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当時の建築の木材が多く残されており、歴史を感じられる内部構造です。
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城門をくぐると天守の雄の姿が見える構造になっています。
特徴まとめ
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横を木曽川の断崖に守られた「後堅固」の城です。
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下町と一体となった「総城構え」の構造を持ち、防御に優れていました。
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天守内部には桃の文様がある瓦や、絨毯敷きの部屋など、独特の特徴があります。
|犬山城の歴代城主
犬山城は2000年代初めまで日本で唯一の個人所有の城として知られていましたが、現在は個人所有ではありません。2004年(平成16年)に公益財団法人「犬山城白帝文庫」が設立され、現在はその財団が所有しています147。
この財団法人の理事長は成瀬家の末裔である成瀬淳子さんが務めており、成瀬家との関係は続いていますが、正式には個人所有ではなく財団所有となっています。
ただ、成瀬家が城主になるまで戦国時代から江戸時代にかけて多くの城主が統治した歴史を持ちます。織田家から始まり、豊臣・徳川政権を経て成瀬家による統治が続いたという歴史があります。
戦国時代
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織田信康(1537年頃)
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織田信長の叔父にあたり、犬山城の築城者とされています。
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織田信清(1547年頃)
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信長と対立した織田家の一族。
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織田信長(1555年頃)
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信清を追放し、犬山城を支配下に置きました。
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池田恒興(1584年頃)
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池田恒興は信長の家臣であり、信長の死後、城主となりました。
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小牧・長久手の戦い(1584年)
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この戦いでは、徳川家康が犬山城を一時的に占拠しました。
安土桃山時代
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石川貞政(1586年)
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豊臣秀吉の命令で城主となり、犬山城を統治しました。
江戸時代
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成瀬正成(1616年)
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徳川家康の家臣であり、江戸幕府成立後に犬山城主となりました。
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成瀬家はその後も明治維新まで犬山城を統治しました。
明治以降
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明治維新後、成瀬家が犬山城を個人所有として維持しました。
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2004年には公益財団法人「犬山城白帝文庫」が設立され、現在はこの財団法人が所有しています。
