岩村城跡
岩村城跡は岐阜県恵那市にある山城です。
岩村城は日本三大山城の一つに数えられています。また日本百名城にも選ばれています。
|所在地
岐阜県伊那市
|見どころ
岩村城は岩村城「跡」と呼ばれているように、城跡になっています。天守閣はありませんが、現在でも残っている石垣から当時をしのぶ方が多いようです。
岩村城が築かれた山の標高717m。全国で最も高い場所に築城されたお城と言われています。霧が多い気候から別名「霧ヶ城」とも呼ばれているそうです。
また、その標高の高さと整然と組まれた本丸周囲の石垣から、岩村城は「東洋のマチュピチュ」とも称されています。
|築城主および歴代城主
築城主
岩村城は、鎌倉時代初期(1185年頃)に加藤景廉(かとう かげかど)によって築かれたとされています。加藤景廉は源頼朝に仕えた武将で、鎌倉幕府の有力御家人の一人でした。
歴代城主
岩村城は時代ごとに城主が変わり、戦国時代には女性城主である「おつやの方」が有名です。
■鎌倉時代~南北朝時代
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加藤氏(加藤景廉の子孫)
■室町時代~戦国時代
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遠山氏(加藤氏の子孫とされる)
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遠山景朝
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遠山直景 など
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武田氏(織田信長の妹・おつやの方が武田方に寝返り、城が武田勢に)
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武田勝頼の家臣・秋山虎繁(秋山信友)が城主となる
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織田氏(織田信長が奪還)
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織田信忠(信長の嫡男)
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河尻秀隆 など
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■安土桃山時代~江戸時代
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森氏(森蘭丸の弟である森長可など)
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田丸氏(田丸直昌など)
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松平氏(松平乗寿など)
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大給松平氏(松平乗紀など)
岩村城は、江戸時代には岩村藩の藩庁となり、明治維新後に廃城となりました。
◎おつやの方(おつやのかた)とは
おつやの方は、戦国時代に岩村城の女城主となった女性で、織田信長の叔母(または遠縁の親族)とされています。彼女は織田信長と武田信玄の間で翻弄され、最終的には悲劇的な運命をたどりました。
おつやの方の生涯
① 織田家の一員として遠山氏に嫁ぐ
おつやの方は、尾張国(現在の愛知県)出身で、織田信秀(信長の父)の妹または娘とされています。彼女は美濃国(現在の岐阜県)の岩村城主である**遠山景任(とおやま かげとう)**に嫁ぎました。
② 夫・遠山景任の死と女城主としての統治
夫の遠山景任が1563年に死去すると、嫡男の遠山景行が幼かったため、おつやの方が城を守ることになります。この時、彼女は織田信長と同盟関係にあり、織田家の庇護を受けていました。
③ 武田家への寝返りと秋山虎繁との結婚
しかし、1572年、武田信玄の重臣である秋山虎繁(秋山信友)が岩村城を攻めてきます。おつやの方は戦わずに開城し、秋山虎繁と結婚することで武田家に従いました。これにより、岩村城は織田から武田の支配下に移ります。
④ 織田軍による奪還と最期
1575年、武田勝頼が長篠の戦いで大敗すると、織田軍は反撃を開始し、岩村城を包囲しました。秋山虎繁は織田軍に処刑され、おつやの方も捕らえられ、京都で磔刑に処されたと伝えられています。
|岩村城へのアクセス
明知鉄道「岩村駅」から登城口まで30分、さらに登城口から本丸まで30分程度の道のりとなっています。山城ですので急坂を上る箇所もあります。
と申しますか、太鼓櫓が見えたあとはほぼ急激な上り坂です。この激坂は敵の侵入を阻むだけでなく、味方ですら城の外には出たくなかったと思えるほどです。
駐車場は3つあります。遠い方から、
第一駐車場→歴史資料館駐車場→出丸広場駐車場。
❶第一駐車場
本丸跡には一番遠い駐車場です。城下町を経由していくため、徒歩30分みたほうがいいです。
お帰りの際におすすめなのが、この松浦軒のカステーラです。試食も用意されてますのでぜひ。
❷歴史資料館駐車場
山城である岩村城のふもとである登城口付近にあります。
登城口には太鼓櫓があります。この太鼓櫓が登城口の目印です。
❸出丸広場駐車場
本丸跡の真下付近にある駐車場です。上り坂は避けたいという方におすすめです。
