熊本城

歴史

  • 熊本城の前身は隈本城で、加藤清正が1601年から築城を開始し、1607年に完成しました。

  • 江戸時代には細川氏の居城となり、政治・文化の中心地として機能しました。

  • 1877年の西南戦争では堅固な防御力を発揮しましたが、多くの建物が焼失しました。

  • 現在は復元が進み、国の特別史跡に指定されています。

 

熊本城の天守

 

構造

  • 熊本城は茶臼山全体を利用した梯郭式山城で、大天守(6階)と小天守(4階)が連結される構造です。

  • 石垣には「忍び返し」と呼ばれる急勾配が施され、防御性を高めています。

  • 「宇土櫓」は築城当時の姿を残す重要文化財で、難攻不落の象徴です。

 

特徴

  • 地下通路「闇り通路」や籠城可能な設備など、防衛機能が充実しています。

  • 石垣には加藤清正時代とその後の細川氏時代の異なる技術が融合しており、他に類を見ない構造です。

  • 豪華な「昭君之間」や天井画を備えた復元された本丸御殿は、華麗な大名文化を再現しています。

 

熊本城の天守

|熊本城の石垣に用いられた技術

熊本城の石垣は、加藤清正による高度な築城技術を活かした防御性と美しさを兼ね備えています。以下にその詳細を説明します。

  1. ①武者返し勾配
    熊本城の石垣は「武者返し」と呼ばれる急勾配で設計されており、敵が登るのを困難にする防御機能を持っています。この反りは「矩返し勾配」とも呼ばれ、全国でも特に優れた例とされています。

  2. ②算木積み技法
    石垣の出隅部分では「算木積み」という技法が用いられています。これは直方体の角石を短辺と長辺を交互に積むことで、構造物の自重を効率的に伝達し、強度を高める方法です。

  3. ③石材の選定と加工
    加藤清正時代には硬い石材が用いられ、人力で割り加工されました。一方、細川氏時代には柔らかい石材が使用され、形状や割り方にも違いが見られます。このように時代ごとに異なる技術が融合している点が熊本城の特徴です。

  4. ④幾重にも折れ曲がる通路
    飯田丸五階櫓付近では石垣が幾重にも折れ曲がり、防御性をさらに高めています。この構造は敵の侵入を遅らせる工夫として設計されています。

 

熊本地震で崩れた熊本城の石垣
熊本地震で崩れた熊本城の石垣

2016年の熊本地震による被害

2016年の熊本地震で熊本城は甚大な被害を受けました。主な損壊箇所は以下の通りです。

  • 石垣: 約10.3%が崩落し、229面・約8,200㎡が崩壊しました。さらに517面・約23,600㎡は緩みや膨らみがあり積み直しが必要です。

  • 重要文化財: 13棟が被災し、東十八間櫓や北十八間櫓が全壊。不開門や長塀も一部倒壊しました。

  • 復元建造物: 20棟すべてが被災し、飯田丸五階櫓や戌亥櫓など7棟の石垣が部分崩落しました。

  • 天守閣: 鉄筋コンクリート構造で損傷は少ないものの、大天守最上階の瓦が破損し、6階部分の柱も損傷しました。

 

熊本地震で崩れた熊本城の石垣
熊本地震で崩れた熊本城の石垣

 

|熊本地震後の石垣の修復

熊本城の石垣修復は、伝統技術と現代技術を組み合わせて慎重に進められています。

  • 崩落石の記録・整理: 崩れた石の位置を記録し、各石に番号を付けて特徴を詳細に記録します。この情報を基に元の位置に戻す作業が行われます。

  • 石垣の解体と積み直し: 変形や崩壊した部分を解体し、文化財的価値を保ちながら元の姿に積み直します。

  • 耐震化と安全対策: 従来の伝統工法を基本としつつ、耐震性向上のため最新技術も活用します。これには構造解析や補強工法が含まれます。

 

崩れた石の位置を記録した石垣
崩れた石の位置を記録した石垣

 
修復作業は「熊本城復旧基本計画」に基づき進行中で、2021年には天守閣の完全復旧が完了しました。しかし、この作業は約10万個の石材を対象に行われ、城全体の完全復元には約20年かかる見込みです。

ピークアンドバレー合同会社(ロゴ)