松山城

歴史

  • 松山城は1602年、関ヶ原の戦いで功績を挙げた加藤嘉明によって築城が開始されました。翌年、地名を「松山」と命名しました。

  • 完成まで約25年を要し、江戸時代には松平氏などが城主を務めました15

  • 1854年に落雷で焼失した天守は再建され、現在でも現存12天守の一つとして残っています。

 

松山城天守

 

構造

  • 松山城は標高132mの勝山に立つ連郭式平山城で、本丸・二之丸・三之丸の3エリアに分かれています。

  • 天守は層塔型で連立式構造(大天守、小天守、隅櫓を渡櫓で連結)を採用し、防御力を強化しています。

  • 特徴的な「登り石垣」や高石垣が侵入者を防ぐ役割を果たしました。

 
 

 

他の城には見られない特徴

  1. 連立式天守:
    松山城の天守は連立式と呼ばれる構造で、大天守、小天守、隅櫓が渡櫓で連結されています。

  2. この構造は防御力を高めるために設計されており、敵が侵入した際に複数方向から攻撃できるよう工夫されています。他の城では層塔型の単独天守が多い中、松山城の連立式は特徴的です。

  3. 現存天守:
    松山城は現存12天守の一つであり、江戸時代に再建された当時の姿をそのまま残しています。この点で歴史的価値が非常に高いお城です。

  4. 葵の御紋瓦:
    松山城の天守には葵の御紋が施された瓦があります。これは現存12天守の中でも松山城だけに見られる特異な装飾です。

  5. 高石垣と登り石垣:
    天守周辺には防御力を強化するため、高石垣や登り石垣が配置されています。特に登り石垣は他の城ではほとんど見られず、松山城と彦根城のみで確認されています。

 

 
松山城と石垣

 
これらの特徴により、松山城は他の城とは異なる独自性を持った構造として知られています。

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