盛岡城

歴史

盛岡城は、1598年(慶長3年)に南部藩初代藩主・南部信直が築城を開始し、その子・利直の代で1615年(元和元年)に完成した平山城です。それ以前は三戸城を本拠としていましたが、豊臣秀吉の命により不来方(こずかた)の地に新たな拠点を築きました。以降、盛岡藩南部氏の居城として江戸時代を通じて使用されました。
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加した南部藩が新政府軍と対立しましたが、戦局の変化で降伏しました。1871年(明治4年)の廃藩置県後、1874年(明治7年)には廃城となり、多くの建物が解体されました。現在は「岩手公園」として整備され、昭和12年には国の史跡に指定されています。
 

構造

盛岡城は連郭式平山城で、以下の特徴があります:

  • 立地: 北上川と中津川の合流地点に位置する花崗岩丘陵上に築かれ、防御と交通の利便性を兼ね備えた場所です。

  • 縄張り: 本丸、二の丸、三の丸が南北に一直線に並ぶ連郭式構造で、本丸を中心に腰曲輪や淡路丸などが配置されています。

  • 石垣: 東北地方では珍しい総石垣造りであり、白い花崗岩を使用した美しい石垣が特徴です。石垣の高さは最大14mにも及びます。

  • 天守非設置: 天守台は築かれましたが天守そのものはなく、代わりに三層構造の「御三階櫓」が建てられました。この櫓は後に「天守」と称されました。

  • 防御施設: 本丸と二の丸間には空堀が設けられ、現在は朱塗りの橋が架けられています。当時は屋根付き廊下橋が用いられていました。

 

他のお城にはない特徴

  1. ①東北地方屈指の総石垣造り
    盛岡産花崗岩を用いた総石垣造りは東北地方では非常に珍しく、「東北三名城」の一つとして評価されています。土塁主体の東北地方の城郭とは一線を画しています。

  2. ②西日本型設計との融合
    縄張りや設計思想には、豊臣秀吉時代の「大坂城」や西日本型織豊系城郭(織田信長・豊臣秀吉時代)の影響が見られます。この点で東北地方特有の城郭とは異なる特徴を持っています。

  3. ③自然地形との調和
    北上川と中津川という二つの川に挟まれた立地を活かし、防御と景観美を両立させています。このような自然地形との調和は他城でも類例が少ないです。

  4. ④現存する遺構と移築建物
    城内には石垣や水堀が良好な状態で残っており、市内には移築された門や土蔵も存在します。例えば、「報恩禅寺」や「木津屋本店」などにその名残を見ることができます。

  5. ⑤文化的価値と観光資源
    現在は「岩手公園」として整備され、「日本100名城」や「日本歴史公園100選」に選ばれるなど、歴史的・文化的価値が高い観光スポットとなっています。

 
盛岡城はその美しい総石垣や西日本型設計思想との融合による独自性から、日本国内でも特異な存在として評価されています。

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