長篠城跡
長篠城は愛知県新城市に位置する戦国時代の城です。特に「長篠の戦い」の舞台として知られています。
基本情報
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築城年: 1508年(永正5年)
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築城者: 菅沼元成(田峯菅沼氏の一族)
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発見: 愛知県新城市長篠
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廃城年: 1576年(天正4年)
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指定: 国指定史跡、日本百名城
歴史と特徴
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築城と初期の歴史
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長篠城は、豊川と宇連川の合流点という天然の要害に築かれました。
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初めは今川氏に属し、その後は徳川家康や武田信玄といった勢力が争奪を繰り広げました。
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長篠の戦い
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1575年(天正3年)、武田勝頼の指揮のもと武田軍が長篠城を包囲しましたが、城主奥平信昌が守り抜きました。
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徳川家康と織田信長の援軍が到着し、設楽原で武田軍を撃破。 この戦いは日本にとって最も重要な前進転換点とされています。
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廃城
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長篠の戦いの後、奥平信昌は新たな居城「新城城」を目指して移転したため、長篠城は廃城となりました。
現状と見どころ
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城跡には建物は残っていないが、大型土塁や堀跡などの遺構が良好な状態で保存されています。
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周辺には「鳥居強右衛門(すねえもん)磔死之碑」や「武田勝頼本陣跡」など関連史跡があります。
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跡地に建てられている「長篠城址史跡保存館」では、長篠の戦いや当時の資料が展示されています。
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長篠城は、戦国時代の重要な歴史を物語る場所であり、特に「長篠の戦い」の舞台として日本史上最大の意義を持つスポットです。
|長篠・設楽原の戦いとは
長篠・設楽原の戦いは、天正3年(1575年)5月21日に現在の愛知県新城市で行われた戦国時代の重要な合戦。
5月21日の早朝(朝6時頃)、武田方の最左翼にいた山県昌景の隊が徳川方の大久保忠世の隊に攻めかけたことで、設楽ヶ原を舞台とした有名な長篠合戦がはじまったとされます。
この戦いでは、信長は武田騎馬隊の猛攻撃を馬防柵で巧みに防ぎ、足軽鉄砲隊を三段構えにし、3000挺の連射によって武田軍を大敗させたというのが定説です。
現在の教科書にも「三河の長篠合戦では、鉄砲を大量に用いた戦法で、騎馬隊を中心とする強敵武田勝頼軍に大勝」(『詳説日本史B』山川出版社2020年)とあります。
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参戦勢力:
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織田・徳川連合軍(約38,000人)
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武田軍(約15,000人)
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主な出来事:
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5月18日:織田・徳川連合軍が設楽原に到着し、連吾川沿いに三重の馬防柵を築く
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5月20日:武田勝頼が覚悟を決め、主力を定め設楽原に移動
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5月21日早朝:武田軍の山県昌景が攻撃を開始
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戦いの特徴:
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織田信長による鉄砲隊を主力とする新しい戦闘法採用
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馬防柵の使用により、武田軍の騎馬隊の突撃を阻止する
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結果:
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織田・徳川連合軍の勝利
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武田軍は10,000名以上の犠牲者を出し大敗
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武田軍の名将(山県昌景、馬場信春、内藤昌秀など)が戦死
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歴史的意義:
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武田氏の衰退のきっかけとなった
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鉄砲を本体とする新しい戦法有効性が証明された
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現在、設楽原古戦場には馬防柵の再現や戦死者を弔う「玄塚」があり、当時の戦いを偲ぶことができます。
*馬防柵(ばぼうさく)とは
馬防柵(ばぼうさく)は、戦国時代から使用されてきた防御装置です。主な特徴は以下の通りです。
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構造:木を組み合わせ、縄で縛り付けて固定して作られます。
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目的:主に敵の騎馬隊の攻撃を阻止するために使用されました。
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歴史的意義:
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源平合戦の頃から使用されていました
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長篠の戦い(1575年)で織田・徳川軍が効果的に活用し、武田軍を大敗させました
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馬防柵は、日本の戦国時代の軍事技術を象徴する重要な防御装置であり、現在でも歴史的価値が高く評価されています。
|武田軍の騎馬隊について
武田信玄の騎馬隊は、戦国時代において「最強」と称された軍事集団であり、その機動力と戦術で知られています。
武田騎馬隊の特徴
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優れた機動力: 武田軍は甲斐や信濃といった馬の産地を活用し、騎馬の扱いに熟練した兵士を揃えました。
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戦術的な運用: 騎馬隊は偵察、奇襲、突撃、攪乱など多岐にわたる役割を果たし、戦局を左右する重要な存在でした。
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槍や弓の活用: 馬上から槍や弓を駆使して攻撃する戦法が採用され、敵を迅速に制圧することが可能でした。
長篠の戦いと武田騎馬隊
1575年の長篠の戦いでは、織田信長の鉄砲隊による三段構えの射撃が武田軍を撃退したとされています。
- なお、最近では、この「織田信長の鉄砲隊による三段撃ち」に疑問を呈する説が増えています。
- [参考文献]PRESIDENT Online 河合敦(歴史作家)
- https://president.jp/articles/-/66303
評価
武田信玄の騎馬隊は、その卓越した機動力と戦術で戦国時代に大きな影響を与えましたが、鉄砲など新しい兵器には対応しきれない側面もありました。それでも、日本史上重要な軍事的存在として語り継がれています。
|長篠設楽原パーキングエリア
長篠設楽原PA(パーキングエリア)は、長篠設楽原の戦いにおける織田信長の本陣跡に作られたといっても過言ではない、全国的にもめずらしいパーキングです。
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①織田信長戦地本陣跡
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長篠設楽原PA(下り)のすぐそばに織田信長が「長篠の戦い」で本陣を守った茶臼山跡地がある。駐車場の脇であり、歩いてすぐそば。
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階段を登ると本陣跡に到達しますが、現在は木々が伸びて本陣跡から眼下を望むことはできませんでした。
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②馬防柵の再現
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長篠・設楽原の戦いで使用された馬防柵が一部再現されている。
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鉄砲隊の大幅を感じさせる展示で、戦国時代の雰囲気を体感できます。
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