佐賀城
歴史
佐賀城は、もともと鎌倉時代から戦国時代にかけて肥前の戦国大名・龍造寺氏によって築かれた「村中城」が起源です。1602年(慶長7年)、鍋島直茂とその子・勝茂によって拡張・改修され、佐賀藩36万石の藩庁として完成しました。以降、鍋島氏の居城として江戸時代を通じて使用されました。
享保年間(1716~1736年)や天保年間(1835年)の火災で大きな被害を受けましたが、その都度再建されました。特に1838年(天保9年)に完成した本丸御殿は、藩政の中心として機能しました。しかし、1874年(明治7年)の「佐賀の乱」で多くの建物が破壊され、廃城となりました。
現在、佐賀城跡は「佐賀城公園」として整備されており、本丸御殿は木造で復元され「佐賀県立佐賀城本丸歴史館」として公開されています。
構造
佐賀城は平地に築かれた輪郭梯郭複合式平城で、防御と実用性を兼ね備えた構造が特徴です。
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天守: 四重五階の天守があったとされますが、1726年(享保11年)の火災で焼失し、その後再建されることはありませんでした。現在は天守台のみが残ります。
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本丸御殿: 東西約126m、南北約122mの広大な本丸内に設けられた御殿で、現在は木造復元されています。
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堀と土塁: 幅80mにも及ぶ堀と土塁で囲まれています。石垣ではなく土塁を採用し、その上に松や楠を植えることで敵から内部を見えにくくする工夫が施されています。
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防衛機構: 外堀には多布施川から水を引き込み、本丸以外を水没させて敵の侵攻を防ぐ仕組みがありました。このため、「沈み城」とも呼ばれています。
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鯱の門と続櫓: 現存する門と櫓は国の重要文化財に指定されています。鯱の門には「佐賀の乱」の弾痕が残り、歴史的な戦いの痕跡を伝えています。
他のお城にはない特徴
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「沈み城」の異名
多布施川から水を引き込み、本丸以外を水没させる防御機構を持つ独特な設計から、「沈み城」と呼ばれています。このような仕組みを持つ城は極めて珍しいです。 -
石垣ではなく土塁主体
石垣ではなく土塁を用い、その上に樹木を植えることで、防御性と景観美を兼ね備えた設計となっています。これは平地に築かれた平城ならではの特徴です。 -
木造復元された本丸御殿
平成16年(2004年)に木造で復元された本丸御殿は、日本最大級の木造復元建築物として注目されています。現在は「佐賀県立佐賀城本丸歴史館」として公開されており、江戸時代の藩政文化や歴史を学ぶ場となっています。 -
弾痕が残る鯱の門
「佐賀の乱」で激しい戦闘が行われた際の弾痕が鯱の門に残っており、当時の戦いの激しさを今に伝えています。 -
未完成ともいえる設計
慶長期に描かれた「慶長御積絵図」と現存する遺構には違いが多く見られ、一部未完成であることが指摘されています。この点で他の完成形に近い城郭とは異なる魅力があります。
現在、佐賀城跡は桜やツツジなど四季折々の自然とともに楽しめる観光地として整備され、「日本100名城」にも選定されています。
