白石城
歴史
白石城(宮城県白石市)は、鎌倉時代に白石氏が築いたとされる平山城で、別名「益岡城(枡岡城)」とも呼ばれます。戦国時代には白石氏や上杉氏、蒲生氏などの支配を経て、1602年(慶長7年)に仙台藩家臣・片倉小十郎景綱が入城し、以後260年以上にわたり片倉氏の居城となりました。
1615年(元和元年)の「一国一城令」においても例外的に存続を許され、仙台藩の南部防衛拠点として重要な役割を果たしました。明治維新後の1874年(明治7年)に廃城となり、多くの建物が失われましたが、1995年に三重櫓や門が木造で復元されました。現在は「続日本100名城」に選定されています。
構造
白石城は梯郭式平山城で、以下の特徴的な構造を持っています:
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三重櫓(大櫓): 天守閣の代わりとして建てられた三重三階の櫓。藩の支城という格と幕府への配慮から「天守」とは呼ばず「大櫓」としていました。1995年に史料を基に木造で復元され、日本最大級の木造復元天守です。
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曲輪構成: 本丸を中心に二の丸、中の丸、西曲輪などが配置されており、防御力を高めるため枡形や土塁が随所に設けられています。
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石垣: 天守台部分は戦国時代特有の野面積み技法で築かれています。一部には打込接ぎ技法も見られます。
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移築遺構: 厩口門や東口門などが市内外の寺院や個人宅に移築され現存しています。
他のお城にはない特徴
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木造復元天守として日本最大級
白石城の三重櫓は1995年に木造で復元され、高さ約16.7mと戦後復元された木造天守では国内最大級です。復元には当時の建築様式や国産材が用いられ、学術的にも高い評価を受けています。 -
一国一城令の例外的存在
1615年の一国一城令にもかかわらず存続を許された数少ない支城であり、仙台藩南部防衛の要として特別な地位を持ちました。 -
片倉小十郎と伊達政宗の絆
初代城主・片倉景綱は伊達政宗の側近として知られ、その忠誠心から白石城は政宗との深い結びつきを象徴する場所となっています。 -
防御重視の設計
枡形や狭間(鉄砲狭間・矢狭間)を効果的に配置し、敵兵の侵入を防ぐ工夫が随所に見られます。特に枡形内通路は長く狭く作られており、防御力を高める設計です。 -
観光資源としての魅力
現在では復元された三重櫓から蔵王連峰や白石市街地を一望できるほか、「白石うーめん」など地域文化との結びつきも強く、観光地として親しまれています。
白石城はその歴史的背景や復元技術、防御設計から独自性が際立つ名城であり、地域文化と結びついた観光地としても高い評価を受けています。
