宇和島城
歴史
宇和島城(愛媛県宇和島市)は、1596年(慶長元年)に築城の名手・藤堂高虎によって築かれた海城です。高虎は、それまで存在していた「板島丸串城」を改修し、宇和島城を完成させました。1601年(慶長6年)に完成した後、藤堂氏は伊勢国へ転封となり、1615年(元和元年)に伊達政宗の長男・伊達秀宗が入封しました。以降、宇和島伊達家9代にわたる居城として機能しました。
1662年(寛文2年)から1671年(寛文11年)にかけて、第2代藩主・伊達宗利が天守を大改修し、現在の三重三階の層塔型天守が完成しました。この天守は現存12天守の一つであり、重要文化財に指定されています。明治維新後には多くの建物が解体されましたが、天守は残され、現在は観光地として整備されています。
構造
宇和島城は平山城であり、海城としても知られています。その構造には以下の特徴があります。
-
立地と縄張り: 標高約74mの丘陵地に築かれ、本丸を中心に二之丸や三之丸が配置された梯郭式構造。本丸南側には三重三階の独立式天守が建てられています。
-
海との関係: 築城当初は北と西側が海に面しており、防御と物流の両面で優れた立地でした。堀にも海水を引き込む設計が採用されています。
-
天守: 現在の天守は1666年頃、第2代藩主・伊達宗利によって建て替えられたもので、総塗籠式(壁全体を漆喰で覆う)層塔型天守です。独立式でありながら華麗さと格式を兼ね備えています。
-
石垣: 石垣には藤堂高虎時代の野面積みや、その後の切込接ぎなど複数の技法が見られます。
-
門と櫓: 本丸北部には櫛形門(櫓門)が設けられており、防御性を高めています。
他のお城にはない特徴
-
①現存12天守の一つ
宇和島城の天守は、日本に現存する12天守の一つであり、江戸時代初期からほぼそのままの姿を保っています。 -
②藤堂高虎による初めての居城
築城名人と評されている藤堂高虎が自ら居住するために築いた初めての城として知られています。彼が後に手掛ける今治城や津城などにも影響を与えた設計思想が見られます。 -
③独立式層塔型天守
天守は他の建物と連結しておらず、単独で建てられている点が特異です。また、層塔型という形式は当時として新しい様式であり、美観と実用性を兼ね備えています。 -
④五角形縄張り
空から見ると五角形に見える縄張りは敵を欺くための工夫とされます。この設計は藤堂高虎ならではの戦略的発想です。 -
⑤海との密接な関係
築城当時は海水を堀に引き込み、防御性を高めるだけでなく、水上交通や物流拠点としても機能しました。このような設計は「日本三大海城」の一つとして評価されています。
宇和島城はその歴史的価値や美しい現存天守、防御性と利便性を兼ね備えた構造から、日本屈指の名城として知られています。また、その保存状態の良さから、多くの観光客や歴史愛好家に親しまれるスポットとなっています。
