山形城
歴史
山形城(霞城)は、1357年(延文2年)に斯波兼頼が築いたとされる平城で、最上氏の居城として発展しました。戦国時代には最上義光が慶長年間に城郭を拡張し、三の丸を構築するとともに城下町を整備しました。義光の統治下では出羽57万石の本拠地として繁栄しました。
1622年(元和8年)、最上氏が改易されると鳥居忠政が入封し、江戸時代には藩庁として機能しました。戊辰戦争では大きな被害を受けましたが、現在は「霞城公園」として整備されており、二の丸東大手門などが復元されています。
構造
山形城は輪郭式平城で、以下の特徴があります:
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広大な敷地: 本丸(約2.83ヘクタール)、二の丸(約27.99ヘクタール)、三の丸(約234.86ヘクタール)を持ち、東北地方最大級の規模を誇ります。
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同心円状の曲輪配置: 本丸を中心に二の丸と三の丸が同心円状に配置され、防御力を高めています。
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土塁と水堀: 城全体を巡る水堀と土塁が防御機能を強化しており、特に二の丸外堀は良好な保存状態です。
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枡形門: 二の丸東大手門や本丸高麗門などに枡形構造が採用されており、防御力を強化しています。
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鉢巻土塁: 下部が石垣、上部が土塁という構造で、防御力と景観美を兼ね備えています。
他のお城にはない特徴
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①全国屈指の広さ
山形城は敷地面積が非常に広く、三の丸だけでも234.86ヘクタールあり、日本最大級の天守を持つ姫路城よりも外郭面積で勝ります。 -
②屏風折れ土塀
二の丸北側で発見された屏風折れ土塀は、防御力を高めるために設計された特殊な構造であり、全国で実際に遺構として確認された例は山形城が初めてです。 -
③吉字の門配置
三の丸には11口の門が設けられ、「吉」という文字になることから「吉字の城」と呼ばれました。この配置は他城には見られない独特な工夫です。 -
④天守非設置
山形城には天守閣がなく、本丸には御殿のみが置かれていました。代わりに二ノ丸に三重櫓を建てることで機能的な代用としています。 -
⑤霞ヶ城伝説
慶長出羽合戦では霧や霞によって城郭が隠れたことから「霞ヶ城」と呼ばれるようになり、その名称が現在も親しまれています。
山形城はその規模や独特な防御構造から東北地方屈指の名城として評価されており、歴史的価値と観光資源としても重要な役割を果たしています。
